もうすぐ8年目に入る。
ライブ写真の道も少しづつ長くなってきた。
僕の歩いた後には何が残っていて、何の破片が転がっているのだろう。
僕の写真を出来るだけたくさんの人に見てもらえたら嬉しい。
その先にバンドがあって、その出会いの一端になれたら嬉しい。
そうしてどこかで僕も音楽と関われていたら嬉しい。
こんなことを思っている自分もいて
それは紛れも無く本当の事ではあるのだけれど
こうやって音楽の世界に片足突っ込んで
撮りたいように写真撮ってる僕には本当の本当ってのがある。
それは、
好きなバンドを撮って
格好良く撮って
どうだこれがオレの写真だ!
って強く世界に叫びたいのだと思う。
自分の表現として、好きなアーティストを使っていることに喜びを感じている部分だって
ゼロでは無い。
写真家が旬の女優を撮って喜ぶような気持ちもあるし
自分の欲求を果てしなく満たし続けてくれるような強烈な被写体に出会う喜びも。
自己顕示欲や、承認欲求に勝てないのは
自分の表現を狭くすると思うし、生き方として格好悪い。
それでも確実に存在するそれとどう相対するのか。
それはすごく大切なことなんだなと、思えてきている。
この7年で自分自身大きく変化していて
それを自分の写真から感じるという
恵まれたところに僕はいる。
自分から出てきたものが、僕の変化を教えてくれる。
ダセェなって思うことも
あ、こんな気持ちになれるようになったのか
って気づくこともある。
何が良い写真なのか。
なんて不毛な問いはもう考えないようにしている。
結局そこにあるのは
僕でしかないから。
何が良い生き方なのか。
なんて考えて生きていたら
そんなに窮屈で苦しいものはないと思うから
誰かに嫌われたっていい
求められなくなってもいい
これからも自問自答。
それこそがいつまでもライブハウスで写真を撮るスタンスだと思う。
2016年12月19日月曜日
2016年6月13日月曜日
倦怠リアクション
どこか遠い土地で
よく知らない人たちと
一緒に
お酒を飲む。
そういう経験ができること
とても幸せだなと思う。
土地勘のない場所で
限られた時間の中で
必死に
その場所を感じようとし
よくわからない人と
よくわからない話をしながら
よくわからないなぁと思いながらも
必死に
その人を理解しようとしている自分に気づく。
お酒は、一つの鍵となり絆となってくれる
知らない場所で知らない人と交差するのに
お酒はとても良いスパイスになってくれる。
心に馴染む場所で体に馴染む空気を吸いながら
心地よい仲間と一緒に過ごしたり
お酒を飲んだり
そこから感じる幸せももちろんある。
僕は
新しいものに触れたい
新しいものに触れた時に自分がどう変わっていくのか
それが自分に何を与えるのかが知りたい。
そうして生きた先に何が待っているのかも見てみたい。
自分が何者なのか、とか
自分の可能性だとか
それを本当に教えてくれるのは
そういう道の先にしかないような気がしてる。
よく知らない人たちと
一緒に
お酒を飲む。
そういう経験ができること
とても幸せだなと思う。
土地勘のない場所で
限られた時間の中で
必死に
その場所を感じようとし
よくわからない人と
よくわからない話をしながら
よくわからないなぁと思いながらも
必死に
その人を理解しようとしている自分に気づく。
お酒は、一つの鍵となり絆となってくれる
知らない場所で知らない人と交差するのに
お酒はとても良いスパイスになってくれる。
心に馴染む場所で体に馴染む空気を吸いながら
心地よい仲間と一緒に過ごしたり
お酒を飲んだり
そこから感じる幸せももちろんある。
僕は
新しいものに触れたい
新しいものに触れた時に自分がどう変わっていくのか
それが自分に何を与えるのかが知りたい。
そうして生きた先に何が待っているのかも見てみたい。
自分が何者なのか、とか
自分の可能性だとか
それを本当に教えてくれるのは
そういう道の先にしかないような気がしてる。
2015年12月31日木曜日
語愛サル
良い写真が撮れるようになりたい。
その為にはカメラマンとしての成長が必要。
カメラマンとして成長する為には人として成長しなければならない。
すべては繋がっている。
自販機の前に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てる。
その一つの動作が、例えば大きなフェスのオフィシャルカメラマンの仕事に繋がっている。
良い写真を撮れるカメラマン。否、
圧倒的な写真を撮れる写真家。になる為には
自分と対峙し見つめ直し、何を欲している人間なのかを理解する事。
必要なのは目の前の被写体を撮りたいという欲。
それ以外の欲との決別は本当に大切なことだと確信した。
余計な思い入れや親近感。
良い構図、良い瞬間を良い形で残そうと浮かんでくる発想それ自体。
機材や環境に対する言い訳や逃げる思考。
自己顕示欲と承認欲求。
などなどだ。
言うなれば"無"に近い状態で撮影に望む事ができれば僕自身の本当に見ているモノが赤裸々に写し出されてくるはず。
そうやって撮影された写真は、他の人達の中にはない圧倒的な価値観を持っているはずで、それを日常的に撮れる状態になれば、僕の目指すカメラマンに到達するのではないか?
そう考え出したのが今年の夏前。
2015年は、カメラマンとして、撮影者として、人間として、もう一つ扉を開けようとした年になった。
今年、京都大作戦、氣志團万博と2つのフェスのオフィシャルをやって、それはそれまでの僕にとっての大きな目標だったわけで、ついにそれが叶った。
しかし、嬉しさと裏腹に心は晴れず、ただただ良い写真を撮りたい。
と自分の撮る写真のつまらなさに嘆く毎日。
写真でお金を稼ぐ事や、自分の知名度を上げようとする事(売れる)、フェスなどのキャリアに繋がる撮影を求める気持ち。
そのどれもが良い写真を撮ることを邪魔をする。
くだらない欲などからは決別して、
人間対人間を常にどう生き抜くのかということの方がとっても大事だと気づきました。
僕の生きるスタンスが、そのまま写真に現れてくる。
そんな当たり前のことに心で気づけた年。
多くの人と出会い、笑い
このファインダーの中に捉えてきました。
すべては僕以外の人が存在してくれているから経験できていること。
目の前の人にありがとう。と言えるかどうか。
それが僕に良い写真を撮らせてくれることに繋がっている。
人を忘れず、人を感じ、人を想い
来年もひたすらにシャッターを切る。
その為にはカメラマンとしての成長が必要。
カメラマンとして成長する為には人として成長しなければならない。
すべては繋がっている。
自販機の前に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てる。
その一つの動作が、例えば大きなフェスのオフィシャルカメラマンの仕事に繋がっている。
良い写真を撮れるカメラマン。否、
圧倒的な写真を撮れる写真家。になる為には
自分と対峙し見つめ直し、何を欲している人間なのかを理解する事。
必要なのは目の前の被写体を撮りたいという欲。
それ以外の欲との決別は本当に大切なことだと確信した。
余計な思い入れや親近感。
良い構図、良い瞬間を良い形で残そうと浮かんでくる発想それ自体。
機材や環境に対する言い訳や逃げる思考。
自己顕示欲と承認欲求。
などなどだ。
言うなれば"無"に近い状態で撮影に望む事ができれば僕自身の本当に見ているモノが赤裸々に写し出されてくるはず。
そうやって撮影された写真は、他の人達の中にはない圧倒的な価値観を持っているはずで、それを日常的に撮れる状態になれば、僕の目指すカメラマンに到達するのではないか?
そう考え出したのが今年の夏前。
2015年は、カメラマンとして、撮影者として、人間として、もう一つ扉を開けようとした年になった。
今年、京都大作戦、氣志團万博と2つのフェスのオフィシャルをやって、それはそれまでの僕にとっての大きな目標だったわけで、ついにそれが叶った。
しかし、嬉しさと裏腹に心は晴れず、ただただ良い写真を撮りたい。
と自分の撮る写真のつまらなさに嘆く毎日。
写真でお金を稼ぐ事や、自分の知名度を上げようとする事(売れる)、フェスなどのキャリアに繋がる撮影を求める気持ち。
そのどれもが良い写真を撮ることを邪魔をする。
くだらない欲などからは決別して、
人間対人間を常にどう生き抜くのかということの方がとっても大事だと気づきました。
僕の生きるスタンスが、そのまま写真に現れてくる。
そんな当たり前のことに心で気づけた年。
多くの人と出会い、笑い
このファインダーの中に捉えてきました。
すべては僕以外の人が存在してくれているから経験できていること。
目の前の人にありがとう。と言えるかどうか。
それが僕に良い写真を撮らせてくれることに繋がっている。
人を忘れず、人を感じ、人を想い
来年もひたすらにシャッターを切る。
2015年12月26日土曜日
経過を評価できる事が日本人の特性
考えるな感じろ。
感じるな考えろ。
なんて言葉は使いやすくてみんな使うし
なんとなく良いことを言っているような気になるけど
本当はこの2つって混在するものだよね。
感じているだけでは何も生まれないし
感じず考えるだけでは答えなんて出ない。
というか何について考えなきゃいけないかすらわからないと思う。
感じている事を考えられるからこそ、自分を理解できるし
そうやって考えている自分を感じれているからこそ自信を持って生きられる。
感じた事を言葉にするのにも考える事は必要だし
いまこうしてここに文字を打ち込めるのも感じている事について考えているから。
そしてそんな事を考えている自分を感じれているからこそ発信に繋がっている。
感じるとか考えるとか言葉を使いすぎてよくわからない文章になっているけど
何が言いたいのかと言うと、
簡潔な言葉やありふれた言葉で核心をついたような事を言った気になって終わるよりも
感じた事を考えて、自分の言葉で、長くなってもいいから伝えようとする事の方が大事だし
何よりその先にある”動く”という事の方が重要だという事。
誰にも伝わらないかもしれない
それでもやろう。どうにかして伝えたい。どうしたら伝わるか。
そんな風に考えられる人間のスタンスには「感じるな、考えろ」精神では到達できないと思う。
感じて、考えて、そして動く。それしかない。
感じるな考えろ。
なんて言葉は使いやすくてみんな使うし
なんとなく良いことを言っているような気になるけど
本当はこの2つって混在するものだよね。
感じているだけでは何も生まれないし
感じず考えるだけでは答えなんて出ない。
というか何について考えなきゃいけないかすらわからないと思う。
感じている事を考えられるからこそ、自分を理解できるし
そうやって考えている自分を感じれているからこそ自信を持って生きられる。
感じた事を言葉にするのにも考える事は必要だし
いまこうしてここに文字を打ち込めるのも感じている事について考えているから。
そしてそんな事を考えている自分を感じれているからこそ発信に繋がっている。
感じるとか考えるとか言葉を使いすぎてよくわからない文章になっているけど
何が言いたいのかと言うと、
簡潔な言葉やありふれた言葉で核心をついたような事を言った気になって終わるよりも
感じた事を考えて、自分の言葉で、長くなってもいいから伝えようとする事の方が大事だし
何よりその先にある”動く”という事の方が重要だという事。
誰にも伝わらないかもしれない
それでもやろう。どうにかして伝えたい。どうしたら伝わるか。
そんな風に考えられる人間のスタンスには「感じるな、考えろ」精神では到達できないと思う。
感じて、考えて、そして動く。それしかない。
2015年10月30日金曜日
輝く夕陽と薄暗い僕の部屋
ある種の決意と共に大海に漕ぎ出した以上、
それなりの結果や成功をこの手にしたいし
それがなければ何の為に?と思う部分もあるが
ただそれだけしか見えていないその辺りのクズと
僕が違った事が本当に今の希望なのです。
評価される事の優先順位を一番上ではなく
もっと下に位置づけられる人達を
青春時代より目の当たりにしてきた事実こそが
今の僕をこうさせているのだと信じている。
誰かのおんぶに抱っこで祭り上げられ、
引っ張り上げられ、引き摺り落とす。
そんな事にやっきになっている連中に僕を捉える事はできないと確信している。
人と違う感覚が求められる世界だと言うなら
僕には人と違ったセンスや才能なんてゆうものは皆無だけど
何を大事にするかという感覚だけは大衆の人とは違ったものが
この体に刻み込まれているのです
いつかの夜に感じた
あの悔しさや、あの人の姿勢、そんなものが僕の中では光輝いていて
あの頃と同じく今も尚、その後をただひたすらに追っている。
道は誰にも等しく平坦である。
上り坂や下り坂はあれど
その道は平等にどこかに繋がっているし
その上に立つ僕達に
高いも低いもないのだ。
少し高い所に登って人を見下したり
少し低い所から人を見上げる事には何の意味もない。
この道がどこに続くのか、ただそれだけを探求し
いま目の前の同じ平坦な道の上に立つ者こそが同志なのだ。
それこそが僕の中に存在するストリートイズム。
誰と戦うわけでもなく
誰かを助けるわけでもなく
誰とは自分でしかなく
自分の為に自分の道を
ただ歩く。
前も後ろも横も全部見ながら探っていくものだよね人生は。
それなりの結果や成功をこの手にしたいし
それがなければ何の為に?と思う部分もあるが
ただそれだけしか見えていないその辺りのクズと
僕が違った事が本当に今の希望なのです。
評価される事の優先順位を一番上ではなく
もっと下に位置づけられる人達を
青春時代より目の当たりにしてきた事実こそが
今の僕をこうさせているのだと信じている。
誰かのおんぶに抱っこで祭り上げられ、
引っ張り上げられ、引き摺り落とす。
そんな事にやっきになっている連中に僕を捉える事はできないと確信している。
人と違う感覚が求められる世界だと言うなら
僕には人と違ったセンスや才能なんてゆうものは皆無だけど
何を大事にするかという感覚だけは大衆の人とは違ったものが
この体に刻み込まれているのです
いつかの夜に感じた
あの悔しさや、あの人の姿勢、そんなものが僕の中では光輝いていて
あの頃と同じく今も尚、その後をただひたすらに追っている。
道は誰にも等しく平坦である。
上り坂や下り坂はあれど
その道は平等にどこかに繋がっているし
その上に立つ僕達に
高いも低いもないのだ。
少し高い所に登って人を見下したり
少し低い所から人を見上げる事には何の意味もない。
この道がどこに続くのか、ただそれだけを探求し
いま目の前の同じ平坦な道の上に立つ者こそが同志なのだ。
それこそが僕の中に存在するストリートイズム。
誰と戦うわけでもなく
誰かを助けるわけでもなく
誰とは自分でしかなく
自分の為に自分の道を
ただ歩く。
前も後ろも横も全部見ながら探っていくものだよね人生は。
2015年10月1日木曜日
哀しみや苦しみが僕
誰にも愛されないのはわかっているが
日々
年々
それは強くなっている
僕が人を遠ざけているのか
芯と芯で付き合える相手が僕にはいない。
上辺だけで
良い事を言ってみたり
悪い事を言ってみたり
一体いつまでそんな事を続けなくてはいけないのか
誰かに愛されている事を実感し
幸せだなぁと涙がこぼれるような出来事が
僕の人生に一度でもあるのだろうか。
一番身近な人達には信頼されず信用されず
甘えようにも寄りかかる所がない。
字の如くカメラにしがみついて
ステージにもたれ掛かるように写真を撮っている時
その時だけが全てを忘れ、気にせずにいられる。
死ぬ
なんて言葉を簡単には使えないが
カメラを持っていない時の僕は抜け殻のようで
どこを見て
何を考えているのか
自分でもよくわからなくなる時がある。
生きるってなんなんだろうか。
日々
年々
それは強くなっている
僕が人を遠ざけているのか
芯と芯で付き合える相手が僕にはいない。
上辺だけで
良い事を言ってみたり
悪い事を言ってみたり
一体いつまでそんな事を続けなくてはいけないのか
誰かに愛されている事を実感し
幸せだなぁと涙がこぼれるような出来事が
僕の人生に一度でもあるのだろうか。
一番身近な人達には信頼されず信用されず
甘えようにも寄りかかる所がない。
字の如くカメラにしがみついて
ステージにもたれ掛かるように写真を撮っている時
その時だけが全てを忘れ、気にせずにいられる。
死ぬ
なんて言葉を簡単には使えないが
カメラを持っていない時の僕は抜け殻のようで
どこを見て
何を考えているのか
自分でもよくわからなくなる時がある。
生きるってなんなんだろうか。
2015年7月17日金曜日
嫉敗
芸人の又吉さんが自身の執筆作で芥川賞を受賞したというニュースが流れていた
いつものようにリビングのソファで寝ていた僕は
TVの音で目を覚ます
朝に弱い僕はいつも苛立ちと共に目を覚ます
だったらソファなんかで寝ずにベットで寝ろよという話だが
もうきっとベットで寝る事はないだろう
あそこでは全くなにもリラックスする事ができない。
「35歳という年齢で、芥川賞か。」
これが今日起きて一番はじめに考えた事だ
こんな一日のスタートは良い事なんてなく
僕は今朝からずっとネガティブに支配されている
そこでブログでも書いて気晴らししようとしている。
これは逃げである。
僕は今年32歳。
35歳で芥川賞をとった又吉さんはその事実も素晴らしい事だが
芸人としての成功はもっと若い時に手にしている
そう思うと今の自分に一体何ができているのだろうと
そんな風に責める。
時間がない、と不安になる。
すでに成功している著名人と自分を同じ計りの上で比べるのは間違っているのかもしれない
僕はただの一般人なのだから
勝ち抜き生き残り選ばれてきた人達にはやはり特別な何かがあると言い聞かせる
それが普通の頭の人、所謂一般人だろう。
でも僕は世界中の著名人と同じ計りでもって自分を見てしまう
そちらの括りの中に入れるはずだと勘違いしている
極度の中二病者。
普段は心の奥にしまっておけるそんな馬鹿な自分も
朝一から無理矢理ひっぱりだされては制御できず
自己嫌悪し自責の念に苦しむ。
でもね
時間ってのはあるようで無いというのは本当の事だと思う
それを何に使うとしても
あっという間に過ぎ去ってもう二度と戻ってこないもの
僕がこの先写真を続けていって
写真集を5年に1度出せたとしても
生きている内にあと5,6冊しか出せないかも知れない。
命は僕を待ってくれないし
死はいつ僕の所にやってくるかわからない
だから出来る事を出来る時に
やれるだけの事をやろう。
いつもならそんな風にネガティブをポジティブに無理矢理変換するのだが
今朝はなんだか
このまま何もせずに死んでいくんだなぁと黒く深いものに負けてしまっている。
ある人が僕に言った
「そろそろ本気でちゃんとしないといけないから」
という言葉が心に深く突き刺さって抜けない。
台風よ、はやく去ってくれ。
いつものようにリビングのソファで寝ていた僕は
TVの音で目を覚ます
朝に弱い僕はいつも苛立ちと共に目を覚ます
だったらソファなんかで寝ずにベットで寝ろよという話だが
もうきっとベットで寝る事はないだろう
あそこでは全くなにもリラックスする事ができない。
「35歳という年齢で、芥川賞か。」
これが今日起きて一番はじめに考えた事だ
こんな一日のスタートは良い事なんてなく
僕は今朝からずっとネガティブに支配されている
そこでブログでも書いて気晴らししようとしている。
これは逃げである。
僕は今年32歳。
35歳で芥川賞をとった又吉さんはその事実も素晴らしい事だが
芸人としての成功はもっと若い時に手にしている
そう思うと今の自分に一体何ができているのだろうと
そんな風に責める。
時間がない、と不安になる。
すでに成功している著名人と自分を同じ計りの上で比べるのは間違っているのかもしれない
僕はただの一般人なのだから
勝ち抜き生き残り選ばれてきた人達にはやはり特別な何かがあると言い聞かせる
それが普通の頭の人、所謂一般人だろう。
でも僕は世界中の著名人と同じ計りでもって自分を見てしまう
そちらの括りの中に入れるはずだと勘違いしている
極度の中二病者。
普段は心の奥にしまっておけるそんな馬鹿な自分も
朝一から無理矢理ひっぱりだされては制御できず
自己嫌悪し自責の念に苦しむ。
でもね
時間ってのはあるようで無いというのは本当の事だと思う
それを何に使うとしても
あっという間に過ぎ去ってもう二度と戻ってこないもの
僕がこの先写真を続けていって
写真集を5年に1度出せたとしても
生きている内にあと5,6冊しか出せないかも知れない。
命は僕を待ってくれないし
死はいつ僕の所にやってくるかわからない
だから出来る事を出来る時に
やれるだけの事をやろう。
いつもならそんな風にネガティブをポジティブに無理矢理変換するのだが
今朝はなんだか
このまま何もせずに死んでいくんだなぁと黒く深いものに負けてしまっている。
ある人が僕に言った
「そろそろ本気でちゃんとしないといけないから」
という言葉が心に深く突き刺さって抜けない。
台風よ、はやく去ってくれ。
2015年7月16日木曜日
宛ての無い我儘は騒音と共に掻き消される
人に何かを求めてしまう。
なぜだろう。
そうしないと決めていても
気づくと僕は誰かに何かを求めている
たしかに
欲しいものがある
得たい気持ちがある
でもそれが得られなかった時の
悔しさとも哀しさとも違う感情を
何度だって味わってきたから
もう何も求めず
ただただ
自分を信じ、やるべき事をやるだけだと
そう思っているのに。
そこに居たのに
そこに居なかった
僕が握る道具は
時間を残す物
技術や感性なんかよりも
そこに居る事の重要性を
僕は知っているつもりだ。
それでも
たとえそこに居たとしても
居なかったように時間は進んでいって
僕も僕の残した時間も
そこに居た意味も何もかもが
無くなった
自分を信じ、やるべき事をやるだけだと
そう思っただけなのに
僕は何かを期待していた。
なぜだろう。
そうしないと決めていても
気づくと僕は誰かに何かを求めている
たしかに
欲しいものがある
得たい気持ちがある
でもそれが得られなかった時の
悔しさとも哀しさとも違う感情を
何度だって味わってきたから
もう何も求めず
ただただ
自分を信じ、やるべき事をやるだけだと
そう思っているのに。
そこに居たのに
そこに居なかった
僕が握る道具は
時間を残す物
技術や感性なんかよりも
そこに居る事の重要性を
僕は知っているつもりだ。
それでも
たとえそこに居たとしても
居なかったように時間は進んでいって
僕も僕の残した時間も
そこに居た意味も何もかもが
無くなった
自分を信じ、やるべき事をやるだけだと
そう思っただけなのに
僕は何かを期待していた。
2015年7月10日金曜日
象は時代遅れの生き物らしい
感じるってどうゆう事だろう。
人によって感じ方が違うってなんでなんだろう。
それは
その人の生きてきた環境、生きている環境、立場
そういったものが生み出す価値観が
何かを得た時に何かを想起させる事なんだろうか。
いつもと変わらない出来事が
いつもと違うものになる瞬間がある
何かを得た時に
違うワードが頭を駆け巡る事もある
そうやって変化していったり
自分自身が成長していくのを
僕は受動的に
そして肯定的に捉えてきた
そこに在る何かにぶつかった時
人は何かを感じるのだろうが
結局はそれは
その時の気分
心模様でどれだけでも変わってしまうと
そうゆう現場に何度でも出くわしてきた
それは人は心で“感じて”いるという
すごくストレートな答えなのかもしれない。
では心はどこにあるのだろうか
僕はずっと頭の中にあると思っていた
それならば心をコントロールする事もできるはずだし
何かにぶつかった時どう感じるか
ある程度選択できるのではないかと
そう思っていた
でも最近
自分で何かを感じる時
それをコントロールできない事が増え
僕の考えは決して正しくは無かった事を突きつけられている。
はてさて
心とは一体どこにあるのだろう?
そして感じるとはどうゆう事なのだろう。
考えは続く。
その牙を失っても尚、
生きようと本能にしがみつく象に対し
時代遅れの生き物だと一言で片づけられる人間。
僕は象にはなりたくないし、人間にもなりたくない。
人によって感じ方が違うってなんでなんだろう。
それは
その人の生きてきた環境、生きている環境、立場
そういったものが生み出す価値観が
何かを得た時に何かを想起させる事なんだろうか。
いつもと変わらない出来事が
いつもと違うものになる瞬間がある
何かを得た時に
違うワードが頭を駆け巡る事もある
そうやって変化していったり
自分自身が成長していくのを
僕は受動的に
そして肯定的に捉えてきた
そこに在る何かにぶつかった時
人は何かを感じるのだろうが
結局はそれは
その時の気分
心模様でどれだけでも変わってしまうと
そうゆう現場に何度でも出くわしてきた
それは人は心で“感じて”いるという
すごくストレートな答えなのかもしれない。
では心はどこにあるのだろうか
僕はずっと頭の中にあると思っていた
それならば心をコントロールする事もできるはずだし
何かにぶつかった時どう感じるか
ある程度選択できるのではないかと
そう思っていた
でも最近
自分で何かを感じる時
それをコントロールできない事が増え
僕の考えは決して正しくは無かった事を突きつけられている。
はてさて
心とは一体どこにあるのだろう?
そして感じるとはどうゆう事なのだろう。
考えは続く。
その牙を失っても尚、
生きようと本能にしがみつく象に対し
時代遅れの生き物だと一言で片づけられる人間。
僕は象にはなりたくないし、人間にもなりたくない。
2015年6月26日金曜日
SUMMER 愛
iPhoneやスマホのカメラが良すぎて
ライブカメラマンの生き死には危うくなってきている。
関係者の誰かがスマホで撮った写真が、すでに事を成すようになってきたのではないかと思う。
私たちがライブカメラマンと名乗る以上は
まず何よりもスマホに勝つことだ。
人の真似事や影響から抜け出せないうちはまずまずカメラマンですらないということ。
写真とは何か
省みるべきことは山積み。
頭とカメラのリンク。
シンクロ率400%をいつでも叩き出さなければ。
個でも孤でもいいが
支えがなくても立っていられる自分になりたい。
2015年4月14日火曜日
ハンバーガーの中身は煙草で埋まる。
前回の更新から
気づいたらこんなにも時間が経っていた。
日々に追われているという事にすれば
それはそれでいいのかもしれないが
自分を形づくるものを忘れてしまっては元も子もない。
最近の僕は
自分の力の無さを痛感する毎日だ
人から褒められ認められているようで
そこに僕の満足はなくて
本当の評価はどこで手に入るのだろうかと彷徨い
結果
自分には何もできず
何もできておらず
と自分を責め
明日を見る目が曇っていく。
それでもライブ撮影三昧の日々を変えるつもりはなく
もっとハードにフットワーク軽く動きたいとさえ思っている。
現実は足に絡まり
首を絞め
両手には重しが付いていく。
人であろうとすれば
僕のなりたいものになれるわけはなく
人外になるには
覚悟も勇気も足りない。
ふわふわとうつうつと生きている。
ライブの光は日々眩しくなり
撮る写真は変わってきている。
撮りたいものはすごいスピードで変わる。
自問自答の答えはいつも
撮る写真へと行き着く。
結局
僕の中にあるのは
音楽と
ライブと
それをどう撮るかという事だけ。
2015年、もう少しがんばる。
気づいたらこんなにも時間が経っていた。
日々に追われているという事にすれば
それはそれでいいのかもしれないが
自分を形づくるものを忘れてしまっては元も子もない。
最近の僕は
自分の力の無さを痛感する毎日だ
人から褒められ認められているようで
そこに僕の満足はなくて
本当の評価はどこで手に入るのだろうかと彷徨い
結果
自分には何もできず
何もできておらず
と自分を責め
明日を見る目が曇っていく。
それでもライブ撮影三昧の日々を変えるつもりはなく
もっとハードにフットワーク軽く動きたいとさえ思っている。
現実は足に絡まり
首を絞め
両手には重しが付いていく。
人であろうとすれば
僕のなりたいものになれるわけはなく
人外になるには
覚悟も勇気も足りない。
ふわふわとうつうつと生きている。
ライブの光は日々眩しくなり
撮る写真は変わってきている。
撮りたいものはすごいスピードで変わる。
自問自答の答えはいつも
撮る写真へと行き着く。
結局
僕の中にあるのは
音楽と
ライブと
それをどう撮るかという事だけ。
2015年、もう少しがんばる。
2015年2月26日木曜日
狸はキューッと鳴く
ライブハウスへ出掛けて
精一杯楽しんだ後
ゆっくりと家路に着く。
家までのおよそ1時間
色々な事を反芻して考えて
そしてどうしようもない不安と寂しさが襲ってくる
現実世界に引き戻される瞬間だ。
毎日できる限りの事をしているつもりでも
どこか逃げていて
どこか守りに入っている
自分の想像通り全力で生きているという実感は全く無く
「いつか」
という言葉を盾にする事も厳しい年齢になってきた。
日々色々な覚悟をしていかなければいけない。
この数年はある種の分かれ目なんだと思う。
全てをカメラに注ぎ込めない僕が
この先一体何を成すことができてどう生きるのか
自分自身が一番ハッキリと見ていなければいけない。
どうにもできないモヤモヤを抱えて家に着いた。
玄関の扉に鍵を差し込み一瞬止まる。
「嗚呼、今日が終わる」
そう思った瞬間、背中越しにキューッという鳴き声。
振り向くとよく太った一匹の狸、目が合う。
まっすぐに僕を見て彼はもう一度キューッと鳴きその場を去った。
僕は鍵を開け家に入る。
明日も頑張ろう。
2015年2月16日月曜日
空は青くて遠かった
きっと今日を忘れないと思う。
昨年末から今年に入って
知ってる方、や憧れていた方がたくさん亡くなった。
僕の中に
色んな人の死が積み重なって
なんだかどんよりと重たくなってきた時
シーナ&ザ・ロケッツのシーナさんが亡くなった。
それが一昨日。
一度もライブを観た事なかったけど大好きだった。
いつか観れるだろうと鷹を括っていた僕はただの大馬鹿者だ。
昨日はTheキャンプのワンマンでなんだか緊張と心の重さとを引きずってライブハウスへ行った。
ライブが終わって、どっしりとした疲れに纏わりつかれていた時
フロアではシナロケが掛かっていた。
緩んだ涙腺をこっそり抑えて
昨日を駆け抜けた。
そして今日、
SEBASTIAN Xの最後の音源のサンプルが送られてきた。
はやく聴きたかったけど
聴きたくなかった音源が
思いがけず届き少しの動揺があって
静かな所で一人で聴きたくて、仕事の昼休みに車を出した。
本屋の駐車場でゆっくりとCDを再生した。
一曲目が終わる前には
僕は完全に負けてしまっていて
涙が止まらなくなった。
声を出して泣いた。
僕は一生今日を忘れないと思う。
昨年末から今年に入って
知ってる方、や憧れていた方がたくさん亡くなった。
僕の中に
色んな人の死が積み重なって
なんだかどんよりと重たくなってきた時
シーナ&ザ・ロケッツのシーナさんが亡くなった。
それが一昨日。
一度もライブを観た事なかったけど大好きだった。
いつか観れるだろうと鷹を括っていた僕はただの大馬鹿者だ。
昨日はTheキャンプのワンマンでなんだか緊張と心の重さとを引きずってライブハウスへ行った。
ライブが終わって、どっしりとした疲れに纏わりつかれていた時
フロアではシナロケが掛かっていた。
緩んだ涙腺をこっそり抑えて
昨日を駆け抜けた。
そして今日、
SEBASTIAN Xの最後の音源のサンプルが送られてきた。
はやく聴きたかったけど
聴きたくなかった音源が
思いがけず届き少しの動揺があって
静かな所で一人で聴きたくて、仕事の昼休みに車を出した。
本屋の駐車場でゆっくりとCDを再生した。
一曲目が終わる前には
僕は完全に負けてしまっていて
涙が止まらなくなった。
声を出して泣いた。
僕は一生今日を忘れないと思う。
2015年1月29日木曜日
朝がくるまで、朝がくるまで
不謹慎かもしれないが
死んで
みんなが悲しんでくれるってすごく羨ましいな。
生きている時って
自分がどうやって生きているか
考えているつもりで考えきれていないもので
計画的に生きようったってそうはいかないのが人生で
人にどう思われているかが気になってしまうような人にとって
今の生き方が正解かどうか
生きているうちには判断がつかない。
(元々生き方に正解なんてないのだろうけど)
それでも生きている。ってのは自分でコントロールできるものではなくて
悩んでいたって生きていってしまう。
人に優しくしなきゃなとか。
仲間や友達を大切にしたいとか。
自分以外の誰かを愛して生きていきたいって思うけど
同じようにみんなから愛されているかなんてわからない。
この間
あるバンドのドラマーが亡くなった。
僕はちょうど1年くらい前に2度その人を撮影し
少しだけ会話をした事がある。
すごく物腰の柔らかい人だなって印象。
その人について僕が書ける事はそれくらいだけど
僕の周りには本当に愛されていた人なんだなぁと思う。
闘病中から県外のバンドマンがお見舞いにきたり
亡くなってからも日本中から哀しみの声が聞こえてくる。
生きている間はわからない自分自身の生き方ってのも
こうして亡くなったらわかるんだなぁと思った。
みんなが顔を見にきて、泣いてくれる。
それだけで彼がどんな人だったのかわかる。
今
自分がどんな風に生きていて
どんな風に見えているかなんてわからないけど
自分に正直に
人を愛せる自分でいたい。
いつしか僕の命が終わった時
泣いてくれる人がたくさんいたらいいな。
その時僕の人生、答え合わせができる気がする。
前を向いていくしかないね。
死んで
みんなが悲しんでくれるってすごく羨ましいな。
生きている時って
自分がどうやって生きているか
考えているつもりで考えきれていないもので
計画的に生きようったってそうはいかないのが人生で
人にどう思われているかが気になってしまうような人にとって
今の生き方が正解かどうか
生きているうちには判断がつかない。
(元々生き方に正解なんてないのだろうけど)
それでも生きている。ってのは自分でコントロールできるものではなくて
悩んでいたって生きていってしまう。
人に優しくしなきゃなとか。
仲間や友達を大切にしたいとか。
自分以外の誰かを愛して生きていきたいって思うけど
同じようにみんなから愛されているかなんてわからない。
この間
あるバンドのドラマーが亡くなった。
僕はちょうど1年くらい前に2度その人を撮影し
少しだけ会話をした事がある。
すごく物腰の柔らかい人だなって印象。
その人について僕が書ける事はそれくらいだけど
僕の周りには本当に愛されていた人なんだなぁと思う。
闘病中から県外のバンドマンがお見舞いにきたり
亡くなってからも日本中から哀しみの声が聞こえてくる。
生きている間はわからない自分自身の生き方ってのも
こうして亡くなったらわかるんだなぁと思った。
みんなが顔を見にきて、泣いてくれる。
それだけで彼がどんな人だったのかわかる。
今
自分がどんな風に生きていて
どんな風に見えているかなんてわからないけど
自分に正直に
人を愛せる自分でいたい。
いつしか僕の命が終わった時
泣いてくれる人がたくさんいたらいいな。
その時僕の人生、答え合わせができる気がする。
前を向いていくしかないね。
2015年1月1日木曜日
元旦から道路脇に横たわる狸
本当はモノクロの写真が好き。
ブレたりボケた写真が好き。
偶然を含んだ奇跡的な一枚。
そんな写真を良い写真と言いたいし、そんな風に残ったライブ写真が大好きです。
でも
僕の撮る写真は違う。
カラーだし
バチバチにピントを合わせて
構図もしっかり決めてトリミングもしない
自分の写真に求める偶然性はできる限り排除して
職人のように撮る。
シャッターを切る瞬間さえ
予測して
偶然の瞬間を残した事を鼻にかけたりもしたくない。
ライブカメラマンという肩書きがあると知り
そうなろうと決めた3年前。
それから色んなカメラマンに出会った。アマもプロもどちらも沢山。
ライブカメラマンは
偶然性に頼った写真を撮って評価される。
そんな風に思われたくない。
舐められたくないのです。
自分でライティングできるわけでもなく
撮影ポジションも限られ
移り変わる光と瞬間の中
最高の一枚を撮る。
偶然撮れたようなブレやボケの力を借りて
モノクロの異世界で誤魔化して
良い写真だなんて言わせたくないのです。
だからバチバチにピントを合わせ
カラフルに
まさに一瞬を切る様に残す。
そうして
“狙って撮ってる感”を出したい。
いや狙って撮っているんです。
ライブカメラマンもちゃんと技術をもったカメラマンだと
知らしめたい。
今までそんな気持ちでやってきました。
2015年。
僕の7年目が始まります。
これからも僕の意地を見ていてやってください。
宜しくお願いします。
青木カズロー
2015年元日
ブレたりボケた写真が好き。
偶然を含んだ奇跡的な一枚。
そんな写真を良い写真と言いたいし、そんな風に残ったライブ写真が大好きです。
でも
僕の撮る写真は違う。
カラーだし
バチバチにピントを合わせて
構図もしっかり決めてトリミングもしない
自分の写真に求める偶然性はできる限り排除して
職人のように撮る。
シャッターを切る瞬間さえ
予測して
偶然の瞬間を残した事を鼻にかけたりもしたくない。
ライブカメラマンという肩書きがあると知り
そうなろうと決めた3年前。
それから色んなカメラマンに出会った。アマもプロもどちらも沢山。
ライブカメラマンは
偶然性に頼った写真を撮って評価される。
そんな風に思われたくない。
舐められたくないのです。
自分でライティングできるわけでもなく
撮影ポジションも限られ
移り変わる光と瞬間の中
最高の一枚を撮る。
偶然撮れたようなブレやボケの力を借りて
モノクロの異世界で誤魔化して
良い写真だなんて言わせたくないのです。
だからバチバチにピントを合わせ
カラフルに
まさに一瞬を切る様に残す。
そうして
“狙って撮ってる感”を出したい。
いや狙って撮っているんです。
ライブカメラマンもちゃんと技術をもったカメラマンだと
知らしめたい。
今までそんな気持ちでやってきました。
2015年。
僕の7年目が始まります。
これからも僕の意地を見ていてやってください。
宜しくお願いします。
青木カズロー
2015年元日
2014年12月18日木曜日
溜めた息を吐く。
戦意喪失。
なんだか、すっとやる気がなくなってしまった。
まともに生きるってのは難しいな。
駅前とかにあるくたびれたビジネスホテルに泊まって
車で街中をブラブラして
どこへ行くでもなくグラフィティとか観たりして
城の上とかに登って街を見下ろしたり
商店街でアクセサリーを買ったりしてさ
夜は辛い物食べて
それくらい普通の事をしたい。
自然体でいられる事の大切さと
取り戻せない時間に
いつも苦しむけど
ライブだけ撮っていたい。
それ以外に何もない。
そう思いたい。
下らなくてつまらない人生。
何か大きなものが欠落してる僕だけど
普通でいられるのがライブハウスだ。
行った事のない所に行きたい。
ハワイに行きたい。
砂浜を歩いて、夕暮れを眺めたい。
北海道に行きたい。
寒さに震えながら街を歩きたい。
僕みたいなクズも
いまよりはまともな気持ちになれる気がするんだ。
なんだか、すっとやる気がなくなってしまった。
まともに生きるってのは難しいな。
駅前とかにあるくたびれたビジネスホテルに泊まって
車で街中をブラブラして
どこへ行くでもなくグラフィティとか観たりして
城の上とかに登って街を見下ろしたり
商店街でアクセサリーを買ったりしてさ
夜は辛い物食べて
それくらい普通の事をしたい。
自然体でいられる事の大切さと
取り戻せない時間に
いつも苦しむけど
ライブだけ撮っていたい。
それ以外に何もない。
そう思いたい。
下らなくてつまらない人生。
何か大きなものが欠落してる僕だけど
普通でいられるのがライブハウスだ。
行った事のない所に行きたい。
ハワイに行きたい。
砂浜を歩いて、夕暮れを眺めたい。
北海道に行きたい。
寒さに震えながら街を歩きたい。
僕みたいなクズも
いまよりはまともな気持ちになれる気がするんだ。
2014年11月30日日曜日
何かの為にではなく誰かのおかげで生きていると知った時、僕は少し優しくなれる。
今年のGUNMA ROCK FESTIVALでの出来事。
楽屋周辺をウロウロと徘徊していた時、
FACTのカズキくんが前から歩いてきた
FACTは一度撮影させてもらった事があったんだけど
その時は挨拶程度でしっかり話をした事もなく
ましてその後どこかのイベントやフェスで一緒になっても
なんだか話しかけ辛くって
距離は縮まる所か離れるばかり
FACTが出てきた時から衝撃を受けて
ひそかに音源を買って聴いていたので
ファン意識もあったのかもしれない。
どちらにしてもその時も
ああ、FACTのカズキくんだ。
と思いながらすれ違った。(挨拶せず)
通り過ぎたカズキくんが突然
「あ、お疲れ様です!お久しぶりです。」
と声をかけてきた。
僕はビックリして「あ、お疲れさまです。」と返す。
続けてカズキくんは
「11月の幕張よろしくお願いします!!」
と言ってきた。
11月の幕張というのは
FACT主催のロックフェス“ROCK-O-RAMA”の事。
この時フェス開催が公表されていたかどうかは覚えていないけど
僕はPALMが出演するとトシくん(PALMのvo)から聴き
幕張でPALMが撮れる!とPALMスタッフとして撮影に行く事を決めていた。
でもそれはもちろんFACTの知らない事だろうし
僕もFACT側から何か話をもらっていたわけではなかった。
頭の中の情報を思い出して
もしかしてkamomekamomeのvo.向さんと間違えられているのでは?
(カモカモもROCK-O-RAMAに出演と聞いていたし、僕はよく向さんに似ていると言われる。)
と結論付け
「お久しぶりです、よろしくお願いします。では。」
と相手に恥をかかせてもと気を使ってその場を後にした。
その話は
青木カズロー、向さんに似ている問題としてちょこちょこ話していた。(向さんには失礼極まりない)
そして今月。
FACTから突然のオファー。
ROCK-O-RAMAのオフィシャルカメラマンの依頼だった。
すごく嬉しかったし
オフィシャルをやっても、元々撮影するつもりでいたPALMも撮れそうだったので
依頼を受ける事にした。
カズキくんにあったら群馬での勘違い話をネタにしたら
それをキッカケに和やかに話ができるんじゃないかと
密かに思っていた。
当日、メンバーよりも先にカモカモの向さんと喫煙所でバッタリ。
ヌンチャクの大ファンだった僕は
向さんと話をするのも少し緊張するので
このネタを使って話をしてみた。
お互い間違えられた時はお互いに成りきってフォローし合おうって言ってもらえて
一人テンションあがった。
そしていよいよカズキくん。
またも煙草を吸いにいった時にバッタリ。
挨拶をして、その話を切り出した。
「あのー群馬の時、あれって。。。」
「ああ、あの時はすみません!」
やっぱり勘違いだったwと思った次の瞬間
「まだ青木さんには何の連絡もいってなかったのにすみません。」
ん?
どゆことだ?
まさか。
「カメラマンを誰にしようかって話をしていて僕が先走ってしまったみたいで」
「でも、ちゃんとオファーいったみたいでよかった。今日撮ってもらえて嬉しいです、ありがとうございます」
ええええ!
まさかの、勘違いじゃなかった。
群馬の時ちゃんと認識してくれていて声をかけてくれていたのだった。
何だか勝手に勘違いされたと思って
ネタにして色んな人に話してしまった自分がすごく恥ずかしくなった。
ちゃんと知りもしないで
自分の勝手なイメージと想像で話をつくり
それを人に話してしまう
僕の一番嫌な事をしていた。本当にバカだった。
FACT主催のROCK-O-RAMA
彼らの為に集まったラインナップは他のロックフェスでは観る事のできない特別なものだった。
この為に来日したSTRUNG OUT
彼らの為にと届いた沢山の花やメッセージ
VOLCOMのTシャツや、横山健さんのオリジナルTシャツなど
そうさせるには意味があって
一度挨拶した事あるくらいのカメラマンを覚えていてくれる人柄は
カズキくんだけでなくメンバーみんながそうだし
自分達のお祝いだから好きなようにやるんではなく
来てくれた人達を楽しませようという気持ちを忘れない。
そんな彼らだからつくれた空気があったと思う。
彼らのそんな大切な舞台をオフィシャルという形でサポートさせてもらえて光栄でした。
FACT、15周年おめでとうございます。
楽屋周辺をウロウロと徘徊していた時、
FACTのカズキくんが前から歩いてきた
FACTは一度撮影させてもらった事があったんだけど
その時は挨拶程度でしっかり話をした事もなく
ましてその後どこかのイベントやフェスで一緒になっても
なんだか話しかけ辛くって
距離は縮まる所か離れるばかり
FACTが出てきた時から衝撃を受けて
ひそかに音源を買って聴いていたので
ファン意識もあったのかもしれない。
どちらにしてもその時も
ああ、FACTのカズキくんだ。
と思いながらすれ違った。(挨拶せず)
通り過ぎたカズキくんが突然
「あ、お疲れ様です!お久しぶりです。」
と声をかけてきた。
僕はビックリして「あ、お疲れさまです。」と返す。
続けてカズキくんは
「11月の幕張よろしくお願いします!!」
と言ってきた。
11月の幕張というのは
FACT主催のロックフェス“ROCK-O-RAMA”の事。
この時フェス開催が公表されていたかどうかは覚えていないけど
僕はPALMが出演するとトシくん(PALMのvo)から聴き
幕張でPALMが撮れる!とPALMスタッフとして撮影に行く事を決めていた。
でもそれはもちろんFACTの知らない事だろうし
僕もFACT側から何か話をもらっていたわけではなかった。
頭の中の情報を思い出して
もしかしてkamomekamomeのvo.向さんと間違えられているのでは?
(カモカモもROCK-O-RAMAに出演と聞いていたし、僕はよく向さんに似ていると言われる。)
と結論付け
「お久しぶりです、よろしくお願いします。では。」
と相手に恥をかかせてもと気を使ってその場を後にした。
その話は
青木カズロー、向さんに似ている問題としてちょこちょこ話していた。(向さんには失礼極まりない)
そして今月。
FACTから突然のオファー。
ROCK-O-RAMAのオフィシャルカメラマンの依頼だった。
すごく嬉しかったし
オフィシャルをやっても、元々撮影するつもりでいたPALMも撮れそうだったので
依頼を受ける事にした。
カズキくんにあったら群馬での勘違い話をネタにしたら
それをキッカケに和やかに話ができるんじゃないかと
密かに思っていた。
当日、メンバーよりも先にカモカモの向さんと喫煙所でバッタリ。
ヌンチャクの大ファンだった僕は
向さんと話をするのも少し緊張するので
このネタを使って話をしてみた。
お互い間違えられた時はお互いに成りきってフォローし合おうって言ってもらえて
一人テンションあがった。
そしていよいよカズキくん。
またも煙草を吸いにいった時にバッタリ。
挨拶をして、その話を切り出した。
「あのー群馬の時、あれって。。。」
「ああ、あの時はすみません!」
やっぱり勘違いだったwと思った次の瞬間
「まだ青木さんには何の連絡もいってなかったのにすみません。」
ん?
どゆことだ?
まさか。
「カメラマンを誰にしようかって話をしていて僕が先走ってしまったみたいで」
「でも、ちゃんとオファーいったみたいでよかった。今日撮ってもらえて嬉しいです、ありがとうございます」
ええええ!
まさかの、勘違いじゃなかった。
群馬の時ちゃんと認識してくれていて声をかけてくれていたのだった。
何だか勝手に勘違いされたと思って
ネタにして色んな人に話してしまった自分がすごく恥ずかしくなった。
ちゃんと知りもしないで
自分の勝手なイメージと想像で話をつくり
それを人に話してしまう
僕の一番嫌な事をしていた。本当にバカだった。
FACT主催のROCK-O-RAMA
彼らの為に集まったラインナップは他のロックフェスでは観る事のできない特別なものだった。
この為に来日したSTRUNG OUT
彼らの為にと届いた沢山の花やメッセージ
VOLCOMのTシャツや、横山健さんのオリジナルTシャツなど
そうさせるには意味があって
一度挨拶した事あるくらいのカメラマンを覚えていてくれる人柄は
カズキくんだけでなくメンバーみんながそうだし
自分達のお祝いだから好きなようにやるんではなく
来てくれた人達を楽しませようという気持ちを忘れない。
そんな彼らだからつくれた空気があったと思う。
彼らのそんな大切な舞台をオフィシャルという形でサポートさせてもらえて光栄でした。
FACT、15周年おめでとうございます。
2014年11月26日水曜日
日常コントラスト
休みの間に動いた分の疲れが体を満たしていて
だるくて重い身体をひきずるように今日が始まった。
人間って本当は無感情なのだ。
天気は雨で
なんだかどんよりと暗い
それでもまだ今週は始まったばかりで
また週末まで予定が詰まっていて
楽しい事が続くぞ。と無理矢理に心を躍らせて
僕は今日も働く。
朝から大好きなバンドの大舞台でのライブの発表を目にして
やっと発表された。楽しみだ。
僕も何か力に慣れたらと想いを巡らす。
昨日、やっと目にする事にできた世界的なジャスピアニストのライブを思い起こしては
感動と悔しさを感じ、明日への決意と自戒を強く想う。
録画していた千と千尋の神隠しを流しながら
PCに向かってこの間撮った写真を現像している。
主人公が見失った自分を取り戻していく様を観て
自分らしさを忘れないでいなければとまたも想う。
毎日何かが起こって
何かを感じて 何かが変わっていく
幸せな時間の裏には絶望があるし
次の瞬間には腹が痛くなるほど笑っている事もある。
その時に起こる事は一つではなくて
どこに自分のピントを合わせているのかわからないくらい
僕の感情は上がったり下がったり
なぜあんなに楽しい事があった直後にここまで落ち込む事ができるの?
なぜあんなに悲しい事があった直後なのにそんなに笑えるの?
自分で自分を疑う事もたくさんあって
なんて冷たい人間なんだと卑下してほくそ笑んでいる。
さっき大好きなバンドのボーカルのお母さんが亡くなった事を知った。
彼のブログを読んで涙した。
僕なりに彼を理解しようとしているし
彼が純粋な青年だという事がわかるその文章に涙が止まらなくなった。
ジャージの袖で涙を拭って
携帯を手にした僕は
いつもお世話になっている雑誌の編集さんに
誕生日おめでとうのメールを打った。
こんな瞬間が日々たくさんあるから
人を信じれなくなっていく。
今日も自分を嫌いになって
いまこのブログを書いている。
人の感情は光の17倍の速度で変わる。
仏教の教えだ。
人の冷たさを上手く誤魔化して納得させるいい説教文句だと思う。
だるくて重い身体をひきずるように今日が始まった。
人間って本当は無感情なのだ。
天気は雨で
なんだかどんよりと暗い
それでもまだ今週は始まったばかりで
また週末まで予定が詰まっていて
楽しい事が続くぞ。と無理矢理に心を躍らせて
僕は今日も働く。
朝から大好きなバンドの大舞台でのライブの発表を目にして
やっと発表された。楽しみだ。
僕も何か力に慣れたらと想いを巡らす。
昨日、やっと目にする事にできた世界的なジャスピアニストのライブを思い起こしては
感動と悔しさを感じ、明日への決意と自戒を強く想う。
録画していた千と千尋の神隠しを流しながら
PCに向かってこの間撮った写真を現像している。
主人公が見失った自分を取り戻していく様を観て
自分らしさを忘れないでいなければとまたも想う。
毎日何かが起こって
何かを感じて 何かが変わっていく
幸せな時間の裏には絶望があるし
次の瞬間には腹が痛くなるほど笑っている事もある。
その時に起こる事は一つではなくて
どこに自分のピントを合わせているのかわからないくらい
僕の感情は上がったり下がったり
なぜあんなに楽しい事があった直後にここまで落ち込む事ができるの?
なぜあんなに悲しい事があった直後なのにそんなに笑えるの?
自分で自分を疑う事もたくさんあって
なんて冷たい人間なんだと卑下してほくそ笑んでいる。
さっき大好きなバンドのボーカルのお母さんが亡くなった事を知った。
彼のブログを読んで涙した。
僕なりに彼を理解しようとしているし
彼が純粋な青年だという事がわかるその文章に涙が止まらなくなった。
ジャージの袖で涙を拭って
携帯を手にした僕は
いつもお世話になっている雑誌の編集さんに
誕生日おめでとうのメールを打った。
こんな瞬間が日々たくさんあるから
人を信じれなくなっていく。
今日も自分を嫌いになって
いまこのブログを書いている。
人の感情は光の17倍の速度で変わる。
仏教の教えだ。
人の冷たさを上手く誤魔化して納得させるいい説教文句だと思う。
2014年10月27日月曜日
宜しくお願いします。
11/2 (日)
MACH STEM @ 新栄 APOLLO BASE
OPEN 18:00 / START 18:30
ADV ¥2500 / DAY ¥3000 (+1D)
ドクターソウルと共同企画やります。
MACH STEM(マッハステム)とは爆弾が落ちた後に起こる衝撃波の事。
音楽が鳴るその現場が爆弾の爆発だとしたら、それが僕らの耳に心に届いて何日も残るあれを衝撃波だと思うのです。
実際に爆弾の爆発よりも後に起こるマッハステムの方が威力が大きいみたいで。
この日もそんな衝撃波が起こるといいなと思いMACH STEMとつけました。
出演は
【ドクターソウル】
このイベントの企画者。僕はブッキングを担当してます。
赤いモヒカンにサングラスの強面が、あんなにキャッチーで楽しい音楽をやってるなんて誰が想像するだろう。そんな不釣り合いもロックンロールだと思うし熱い気持ちをもって泥臭くも前を向いてバンド活動を続ける姿にはいつも尊敬の念を抱いています。メンバーそんなに若くないのに。
見た目ほど怖い人ではないのでライブ観て話しかけて帰ってもらえたら嬉しいなと思います。
今回はドクターソウルと一緒にライブしたら面白いだろうなあってバンドに声を掛けました。
【THE BOOGIE JACK】
実はまだ3回しか撮影したことないけど、お互い超両想いなんです!(と思いたい)
名古屋の青春パンクモンスターTHE BOOGIE JACK。僕はvo.シュンタくんのまっすぐな目と伸ばす手にいつも心を掴まれてしまいます。彼の歌にも表情にもどこか寂しさを感じるのに、芯にはグーッと熱いものがあるのが分かる。そうゆう男、格好いいですよね。パッと見僕よりも年下に見える見た目の若さも羨ましいです。
ドクターソウルは青春パンクバンドとやっても絶対合う!と勝手に思っていたのでMACH STEMで答え合わせといきましょう。
【アクロバット★少年】
名古屋の3ピースロックバンド。純情ゆえにド変態のvo.ありさーもんの強烈過ぎるキャラクターが創り出した曲の数々に初めて観る方は圧倒されるかと思います。「初めて男性の金○玉に触れた時の曲」や「ストーカーしてた男性に向けた歌」などこの説明だけでも聴いてみたくなりますよね。期待は裏切らないと思いますよ。笑っちゃうけどストレートな歌詞とキャッチーなメロディが大好きです。
それにね、ありさーもんの声が良くて。みんなに会わせたいバンドNo.1かも★(ちなみに星は黒じゃなきゃダメらしいです)
【コロボックルズ】
なんだかんだ数年の付き合いになりましたが、初めて観たのはell.SIZEだったと思う。
当時YOU TUBEで観て、カッコイイと思っていたらちょうど撮影に行ったイベントに出演していてビックリした。力強いのに繊細ななんとも唯一無二なライブバンド。名前はよく聞いてて気になってたって人結構多い。名古屋の人は意外と知らないバンドだと思うので是非観て欲しい。ド肝抜かれるよ。
実はvo.ケイコさんはコケシの化身なので怒らせるとコケシにされる危険性があります、近づく時はご注意を。コケシみたいで可愛いですね。なんて言った日には凄く喜んじゃうかと思いますので絶対に口にしないように。
【hotspring】
ツアーバンドを撮る事が多い僕ですが、名古屋に来る度に毎回のように撮りに行っているバンドの一つ。それくらい格好良いって事です。僕の事をあまり怖がらずに接してくれるのも有り難いのです。(気のせいかな)僕はメンバーでDr.ゴエさんだけが年上なのでそこだけ敬語を使っています。ライブの時のゴエさんはティアドロップ型のサングラスを掛けているのでそれをいかに格好良く撮るかがいつも僕の課題となっています。九州出身の最高なロックバンドなので是非名古屋の方々に観てもらいたい。
voイノクチはすごく礼儀正しい男なのですが、酔うと年齢の壁を越えてくる熱い男に変身します。そうゆうあいつが大好きなのです。
以上5バンドに
僕が大好きなDJ、APiTACOくんに転換DJをしてもらいます。
ライブイベントで、3マンくらいなら転換はBGM無し。くらいが緊張感あって好きですが
5バンドくらいでるイベントなら転換も楽しく行きたいなと思いました。
APiTACOくんは見た目ほぼヤク○ザですがPOPな格好で誤魔化しています。
そこが大きく僕と違う所ですね。僕は見た目通りの怖がられるような格好をしていますが、彼はそうでない。受け手の事まで考えられる人間だと言う事ですよ。
そんな人間が選ぶ音楽なんて良いに決まっているじゃないですか。
ライブハウスは音楽を楽しむ場所。折角来るならライブだけじゃなく転換の間に流れる音楽にも耳を傾けてもらえると嬉しいです。
ドクターソウルに頼まれて
一緒にやると決めて
自分の繋がりを使って声を掛けさせてもらって
それに応えてくれたバンドがいてDJがいて
本当はそれだけで大満足で幸せな事だけど
イベントというのはそこでは終わらない。
学ぶべき事も足りない事も多々あったと思うけど
とりあえず週末にその日を用意できた。
少しでも多くの方に楽しんで帰ってもらいたいです。
アポロベイスで会いましょう。
2014年10月20日月曜日
カルチャカルチャ
色んな場所に出入りしているから
人は独りになった途端にプライドに襲われて
後輩ができたら満足して油断して
矢面に立てば固くなり狭くなる
忘れたり
見えなくなったり
流されたり
色々な事に気づけなくなる
慣れる
結果身近な人達と
仲良く褒め合い
認め合い
許し合い
いつか自分とは
もっと広い世界に生きるただ一人のちっぽけな人間だという事すら忘れる。
あまり使いたくない言葉だけど
“本物の”パンクは全然違う。
それを思い知らされた。
僕は何にも成れない人間だけど
唯一良かったなと思うのは
他の何者でもない自分というものを見つめる謙虚さと
自信の無さと
劣等感を持って生きてこれた事かな。
何者にも成れないけれど
自分には成れる。
僕は僕。
過去にも未来にも自分は此処にしかいない。
色んな人達と繋がっている
色んな人達の価値観と思想の合間を
僕はのらりくらりと生きている。
週末。
名古屋のパンクと
豊田のパンクの背中を見てきた
パンクの何がすげぇって10代でPUNKに出会ってから
40過ぎてもずっと同じ様に在り続けられている事だなと思った。
字の如く
人生を懸けてる。
そうゆう人間の発する言葉や
行動や表情には力が宿るもんだ。
僕はと言えば
10代前半はJ-POP
中学でMETALとHIPHOPに出会い
高校は色んな音楽をただひたすらに聴いて
20歳くらいの頃は4XLくらいの服をきてB-BOYを気取り
20代半ばの頃はハードコアを気取り
今は訳の分からない取り留めもない格好をして色んなジャンルの場所を飛び回ってる
芯も無く
ふわふわのゆるゆる
僕はB-BOYでもハードコアでもパンクでもないだろうし
そのどれにも成れないだろう。
人は独りになった途端にプライドに襲われて
後輩ができたら満足して油断して
矢面に立てば固くなり狭くなる
忘れたり
見えなくなったり
流されたり
色々な事に気づけなくなる
慣れる
結果身近な人達と
仲良く褒め合い
認め合い
許し合い
いつか自分とは
もっと広い世界に生きるただ一人のちっぽけな人間だという事すら忘れる。
あまり使いたくない言葉だけど
“本物の”パンクは全然違う。
それを思い知らされた。
僕は何にも成れない人間だけど
唯一良かったなと思うのは
他の何者でもない自分というものを見つめる謙虚さと
自信の無さと
劣等感を持って生きてこれた事かな。
何者にも成れないけれど
自分には成れる。
僕は僕。
過去にも未来にも自分は此処にしかいない。
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