良い写真が撮れるようになりたい。
その為にはカメラマンとしての成長が必要。
カメラマンとして成長する為には人として成長しなければならない。
すべては繋がっている。
自販機の前に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てる。
その一つの動作が、例えば大きなフェスのオフィシャルカメラマンの仕事に繋がっている。
良い写真を撮れるカメラマン。否、
圧倒的な写真を撮れる写真家。になる為には
自分と対峙し見つめ直し、何を欲している人間なのかを理解する事。
必要なのは目の前の被写体を撮りたいという欲。
それ以外の欲との決別は本当に大切なことだと確信した。
余計な思い入れや親近感。
良い構図、良い瞬間を良い形で残そうと浮かんでくる発想それ自体。
機材や環境に対する言い訳や逃げる思考。
自己顕示欲と承認欲求。
などなどだ。
言うなれば"無"に近い状態で撮影に望む事ができれば僕自身の本当に見ているモノが赤裸々に写し出されてくるはず。
そうやって撮影された写真は、他の人達の中にはない圧倒的な価値観を持っているはずで、それを日常的に撮れる状態になれば、僕の目指すカメラマンに到達するのではないか?
そう考え出したのが今年の夏前。
2015年は、カメラマンとして、撮影者として、人間として、もう一つ扉を開けようとした年になった。
今年、京都大作戦、氣志團万博と2つのフェスのオフィシャルをやって、それはそれまでの僕にとっての大きな目標だったわけで、ついにそれが叶った。
しかし、嬉しさと裏腹に心は晴れず、ただただ良い写真を撮りたい。
と自分の撮る写真のつまらなさに嘆く毎日。
写真でお金を稼ぐ事や、自分の知名度を上げようとする事(売れる)、フェスなどのキャリアに繋がる撮影を求める気持ち。
そのどれもが良い写真を撮ることを邪魔をする。
くだらない欲などからは決別して、
人間対人間を常にどう生き抜くのかということの方がとっても大事だと気づきました。
僕の生きるスタンスが、そのまま写真に現れてくる。
そんな当たり前のことに心で気づけた年。
多くの人と出会い、笑い
このファインダーの中に捉えてきました。
すべては僕以外の人が存在してくれているから経験できていること。
目の前の人にありがとう。と言えるかどうか。
それが僕に良い写真を撮らせてくれることに繋がっている。
人を忘れず、人を感じ、人を想い
来年もひたすらにシャッターを切る。
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