2015年7月17日金曜日

嫉敗

芸人の又吉さんが自身の執筆作で芥川賞を受賞したというニュースが流れていた

いつものようにリビングのソファで寝ていた僕は

TVの音で目を覚ます

朝に弱い僕はいつも苛立ちと共に目を覚ます

だったらソファなんかで寝ずにベットで寝ろよという話だが

もうきっとベットで寝る事はないだろう

あそこでは全くなにもリラックスする事ができない。


「35歳という年齢で、芥川賞か。」

これが今日起きて一番はじめに考えた事だ

こんな一日のスタートは良い事なんてなく

僕は今朝からずっとネガティブに支配されている

そこでブログでも書いて気晴らししようとしている。

これは逃げである。


僕は今年32歳。

35歳で芥川賞をとった又吉さんはその事実も素晴らしい事だが

芸人としての成功はもっと若い時に手にしている

そう思うと今の自分に一体何ができているのだろうと

そんな風に責める。

時間がない、と不安になる。



すでに成功している著名人と自分を同じ計りの上で比べるのは間違っているのかもしれない

僕はただの一般人なのだから

勝ち抜き生き残り選ばれてきた人達にはやはり特別な何かがあると言い聞かせる

それが普通の頭の人、所謂一般人だろう。

でも僕は世界中の著名人と同じ計りでもって自分を見てしまう

そちらの括りの中に入れるはずだと勘違いしている

極度の中二病者。


普段は心の奥にしまっておけるそんな馬鹿な自分も

朝一から無理矢理ひっぱりだされては制御できず

自己嫌悪し自責の念に苦しむ。



でもね

時間ってのはあるようで無いというのは本当の事だと思う

それを何に使うとしても

あっという間に過ぎ去ってもう二度と戻ってこないもの

僕がこの先写真を続けていって

写真集を5年に1度出せたとしても

生きている内にあと5,6冊しか出せないかも知れない。

命は僕を待ってくれないし

死はいつ僕の所にやってくるかわからない

だから出来る事を出来る時に

やれるだけの事をやろう。





いつもならそんな風にネガティブをポジティブに無理矢理変換するのだが

今朝はなんだか

このまま何もせずに死んでいくんだなぁと黒く深いものに負けてしまっている。

ある人が僕に言った

「そろそろ本気でちゃんとしないといけないから」

という言葉が心に深く突き刺さって抜けない。



台風よ、はやく去ってくれ。

2015年7月16日木曜日

宛ての無い我儘は騒音と共に掻き消される

人に何かを求めてしまう。


なぜだろう。

そうしないと決めていても

気づくと僕は誰かに何かを求めている


たしかに


欲しいものがある

得たい気持ちがある

でもそれが得られなかった時の

悔しさとも哀しさとも違う感情を

何度だって味わってきたから


もう何も求めず

ただただ

自分を信じ、やるべき事をやるだけだと

そう思っているのに。



そこに居たのに

そこに居なかった

僕が握る道具は

時間を残す物

技術や感性なんかよりも

そこに居る事の重要性を

僕は知っているつもりだ。


それでも

たとえそこに居たとしても

居なかったように時間は進んでいって

僕も僕の残した時間も

そこに居た意味も何もかもが

無くなった



自分を信じ、やるべき事をやるだけだと

そう思っただけなのに


僕は何かを期待していた。

2015年7月10日金曜日

象は時代遅れの生き物らしい

感じるってどうゆう事だろう。


人によって感じ方が違うってなんでなんだろう。

それは

その人の生きてきた環境、生きている環境、立場

そういったものが生み出す価値観が

何かを得た時に何かを想起させる事なんだろうか。



いつもと変わらない出来事が

いつもと違うものになる瞬間がある


何かを得た時に

違うワードが頭を駆け巡る事もある


そうやって変化していったり

自分自身が成長していくのを

僕は受動的に

そして肯定的に捉えてきた



そこに在る何かにぶつかった時

人は何かを感じるのだろうが

結局はそれは

その時の気分

心模様でどれだけでも変わってしまうと

そうゆう現場に何度でも出くわしてきた


それは人は心で“感じて”いるという

すごくストレートな答えなのかもしれない。

では心はどこにあるのだろうか

僕はずっと頭の中にあると思っていた

それならば心をコントロールする事もできるはずだし

何かにぶつかった時どう感じるか

ある程度選択できるのではないかと

そう思っていた



でも最近

自分で何かを感じる時

それをコントロールできない事が増え

僕の考えは決して正しくは無かった事を突きつけられている。


はてさて

心とは一体どこにあるのだろう?

そして感じるとはどうゆう事なのだろう。

考えは続く。






その牙を失っても尚、
生きようと本能にしがみつく象に対し
時代遅れの生き物だと一言で片づけられる人間。

僕は象にはなりたくないし、人間にもなりたくない。