2013年12月26日木曜日

過ぎ去るよねすぐに

刹那って言葉が格好良いなって思って

でもちゃんとした意味って知らないな。と思ってWikiってみた


刹那って仏教用語で時間の最小の単位なんだね



具体的に刹那ってどれくらいかってゆうと

指をはじく間に60刹那あるとか、諸説あるみたい

その諸説の中の一つで

大毘婆沙論』ってのの中では


1/75秒とするってのがあるらしい



1/75秒といったら

僕がライブ写真を撮る時のシャッター速度を

まさにそれくらいにしている時がある


おお☆


オレ刹那を切り撮ってたんだな。



なんだか格好良いなぁ。笑

2013年12月23日月曜日

Yes.I am

この間

いつもの様に夜を過ごして
色んなバンドマンに会い
音楽の話から漫画の話までそつなくこなして

気づいたら朝6時

面白く楽しい時間を過ごしての帰宅

帰り道は朝焼けで黄色く薄蒼く
12月の冷たく締まった空気に
霜のおりた畑や木々

寒かったけど窓を開けて車を走らせた

朝独特の凍てつく寒さと
美しい景色に眠気も覚め不思議な感覚

夜を越えて
朝を迎える

すごく神秘的で大好きだなって思った

朝の蒼と
澄んだ空気と静まりかえった街も大好きだ

名古屋までの片道1時間は
僕にとっては大事な準備の時間で
復習の時間



2013年12月21日土曜日

人がすれ違う場所

僕は映画が大好きだ。
ここ半年ちゃんと観れていなかったので
最近はなるべく観ようとしている

今夜も近所のレンタル店へDVDを借りにいった。
そこで久しぶりの再会。

僕がキックボクシングをしていた頃の仲間、長瀬くん(27)だ。
会った瞬間にお互い気づいた。

僕は何ヶ月かぶりかと思ったけど
よくよく考えたら最後に会ってから3年くらい経っていた。

時間の感覚とは信用ならないものだ。

長瀬くんとはジムでもよく話す仲だったので今夜も久しぶりに話に花がさいた。
お互いの近況や懐かしい話。

気づいたら1時間半くらいは話していたかな。

地元ってのは、こうゆうのがいい。
僕がカメラをやっているのは知っていても
今どんな所でどんなものを撮っているのか、知らない相手。

きっと彼にとってもどうでも良い話。
ポッと会うだけ。

たったの1時間半が
すごく息抜きになった。


悲しい事に、あの頃とは状況も環境も変わって
今はほとんど会うことも無くなってしまったけど(今回3年ぶりだもんな)

あの時あの場へ足を運んだ自分がいて
同じ様に足を運んだ彼がいて
僕らは出会ったわけだから
人の出会いとは本当に面白いものだね。


借りてきたのは
スプラッター映画。

やっぱりコレだよね。

2013年12月16日月曜日

水面

先人の言葉に救われた。




自分の立っている所なんて

本当不安定で、小さくていつ壊れてしまっても可笑しくない所


いつも足が竦んでる


それでも立っていられるのは

僕が酷い寂しがり屋だからだろうな


ライブに通う事なんて

風俗へ行くのと一緒で

僕が好きな音楽なんて

一般には悪いとされてたりするわけで

悪い事をしに夜な夜な街へ繰り出して


夜遊びをして

闇に紛れて僕は何にでもなれる


そんな世界だから立っていられる

白昼に引っ張り出されたら

僕は何にもないただの坊主頭


いつも恐怖に怯えてる


それでも立っていられるのは

やっぱり僕が酷い寂しがり屋だから


誰かとの繋がりを求めて

日々を彷徨っているから

きっとなんとか繋ぎ止めていられるのかも


足がついてて良かった

指があって良かった

目と耳が、口があって良かった


生きててよかったなぁ

なんて、そんな時に想うこと




伝えたい事なんて本当は何もないのかもしれない。そんな風に思う事もある。ただライブが好きでそれを撮れてるのが楽しくて嬉しいだけなんじゃないか、それに意味をつけたがってるだけなんじゃないか。でもこの手でライブを残していく事を本当に使命のように感じてるし、喜びがある。ここ最近良い刺激を受けまくってて、体は常に撮りたいモード。コンデジを持ち歩いてるのもプラスに働いてる感じで、常に写真の目。結果はなかなかついて来なくて、苦しいくらい不満足な写真しか撮れないけど、元々センスなんて無くてがむしゃらに撮ってただけだった僕なんだから、これからもそうするべきだよなって気持ち良く思えてる。良い写真も悪い写真も無いんだってスッと思えてる。やっと写真が好きになってきたのかも。



本当は、立っていられるんじゃなくて

立っていたいんだよね。


なんか詩みたいになって気持ち悪い。

2013年12月13日金曜日

しゃびしゃびな夜と明日

以前このブログにも書いたシャビーボーイズ。

今年で解散。



彼らと出会ったのは、まだ今年に入ってからで付き合いはとても短く

僕らはまだ全然知り合っていない。


それでも僕はこのバンドが大好きになった。

彼らのライブには、来た人を満足させる力がある。

確実に何かを持って帰らせていると思う。


僕も彼らのライブにやられた一人だ。


撮った回数は、数えられるほどでまだまだ撮り足りないし

伝えたい表情や瞬間が腐るほどある。


それでもバンドは解散していってしまう。


2013年12月11日。
名古屋CLUB UPSETでのライブ。
年内残す所名古屋はあと2本。


僕は彼らの姿を残さなくてはいけないという。

勝手な使命感で彼らを撮っている。

11日もそう。


でもライブが始まり3曲が終わった所で

いつもとは決定的に違う何かに押し潰された。

未来の無いバンドのライブ写真を撮る「意味」


僕は、面倒くさい人間で、何をやるにもそれなりに意味をつけたがる所がある。

普段ライブを撮る時、その写真が何かしらバンドのプロモーションになればいいと思って撮っている。次に繋がる写真、観た人がライブハウスに足を運びたくなるような写真だ。

僕を押し潰したのは、それが無いという現実だった。

一つの「思い出」としてのライブ写真。
未来に繋がる事のない過去の為だけの写真。


何だかとても悲しい気分になり

ステージ上で爆発するシャビーボーイズが憎らしくて

すごく格好良くて

ステージ最前で涙するファンを観て

どうしてやめるんだ。と腹が立っていた。



その夜、日が明けるまでギターの高津と話をした。

色々な事を話したけど、ほとんど覚えていない。


でも僕の中で一つ勘違いをしていた事に気づいた。

シャビーボーイズは、ピーターは、次を見ていた。
新しく始めようとしていた。

僕は、自分の気持ちのまま後向きになってしまっていた。

僕の撮らなければいけない写真は、思い出の為の過去の写真なんかでは無く
彼らの前向きさだった。


コイツらはまたやってくれる。
はやく次のバンドを観たい、やりたい。


そう思える、力のある写真。
希望のある写真。




写真は、残すものだし思い出になるもの。
でも僕が撮りたいライブ写真はもっと前向きに突き刺さる写真。

残り一本。

彼らの未来と希望を撮りたい。





2013.12.11 シャビーボーイズ


ぴーす








2013年12月4日水曜日

足が重い。腕が上がらない。

めっきり寒くなって

体が固くなって

心まで固くなってきた


セルフコントロールが苦手で

感情のままに

欲望のままに

というような人間なので

ここの所ギリギリ

綱渡りしてるような気分



それでも目の前のものから目を背けるつもりもなく

明日の陽を浴びるつもりで生きている



さて、今年の僕は一体どれくらいの事ができたかな。

もう少しあるから、もう少しだけ頑張ってみようか。


自らのコンプレックスとの戦いは

明日も明後日も続く


生きているってのは、そうゆうことだ