3年前の3月11日は
一体何が起きたのか分からなくて
遠い岐阜で他人事のようにニュースを見ていた。
夜中は東京で停電と余震に怖がる友人達とスカイプで会議通話しながら、お互い励まし合った。
東北の友人の訃報を聞いたのはその直後だったか前だったか。
僕はあの日二人の友人を亡くした。
正直に書くと、どこか他人事にしていたし自分に関係のない事だと思っていたと思う。
でも彼らの死は、僕の中で3.11を特別なものに変えた。
1年後の3.11
もう1年経ったのかと時間の早さに驚いた。
マスコミや著名人達のチャリティ活動の終息の早さにも同じくらいびっくりした。
この年の5月に仙台へ行ってきた。
被災地と呼ばれる場所を何か所か周った。
衝撃的だったし、本当に色んな事を考えた。
僕にとっての3.11は友人の死からもっと深く辛い事に変わった。
遅かったと思う。状況を飲み込むというか、心から感じたのはこの時だった。
2年後の3.11
1年前に見た光景が忘れられなくて
なんだかこの日何をしてていいのかわからなかった。
自分の無力感と友人の事を考えてた。
夜は、茜谷くんの弾き語りを聞きにいった。
茜谷くんの事が好きになったのはこの時だったと思う。
そして、3年目の今日。
昨日名古屋でミーティングをしていたら、気づいたら日をまたいでいた。
その瞬間なんだか苦しくなったけど、つまらない話をして誤魔化した。
今日になってTwitterをはじめSNSを観ていてやたらと苦しくなる。
3.11という文字に、言葉に悲しくてたまらなくなる。
3年目の今日、僕はやっと友人の死を受け入れられたような気がする。
涙が出る。
今夜は、また茜谷くんの弾き語りを聞きにいこうかと思っている。
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