2013年6月29日土曜日

観るまでは生きねば。

映画が大好きです。

音楽と同じくらい好きかも。
映画を観ている時間というのは僕にとっては一番大事なリフレッシュの時間で、大切なインプットの時間でもあります。

出来るだけ映画館に行くようにしてます。

映画館では字幕、物は食べない、携帯は見ない、エンドロールの最後まで観る。タイプです。
家では、字幕・吹替どちらもOK、物も食べる、携帯も見る、と真逆です。

作品として真剣に観たり、娯楽として楽しんだり、映画との付き合い方は音楽に対するものと同じです。


今週も、2本の映画を観にいきました。
2日連続で観て、2日間同じ映画の予告に強い印象を受けました。


それは『風立ちぬ』です。


鉄板ですね、スタジオジブリの最新作。
いや、宮崎駿監督の最新作です。


公開日も近づき、4分と長めの予告。
2日間、連続で泣きそうになりました。
2日間、観にいった映画よりもその4分の方が印象が強くて、本編に集中できなかったくらい。


零戦を設計した堀越二郎という人物にスポットを当て、大震災と戦争 。
こうゆう映画を待っていました。宮崎駿の真髄じゃないかと思います。久しぶりにメッセージ性の強い作品を観れるのが楽しみでならない。

もののけ姫『生きろ』からの風立ちぬ『生きねば。』




























主題歌を松任谷由美が歌っていたり、今回の本気度は凄いなぁと。

話題になったのは、主人公の声を庵野秀明にやらせた事。
このタイミングで庵野監督ってなんか少しニンマリしてしまいましたよ^^

これに関しては、賛否あるようで宮崎駿監督の声優を使わない姿勢に対しての苦言をチラホラ聞きますね。
そうゆう方は、とりあえず、『ジブリの教科書3 となりのトトロ』と『出発点』を読んでみてください。
少なからず宮崎駿監督の考えがわかるんじゃないかな。

あれだけの人が、自分の作品に意味のない事はしませんよ。


自分で調べもせず、外からの情報やイメージに流され固まる。
日本人の一番いけない所ですね。何事も知る事、経験する事です。


そんなわけで、日々『風立ちぬ』への想いが膨らんでおります。
7月20日が楽しみでならないッッ!!

2013年6月26日水曜日

撮って喰ったか喰われたか

2013/6/25
名古屋今池HUCK FINNに初めて出演した日。

ワッぺリンにオファーを貰い、アー写にする為のライブ写真を公開撮影するという企画に出ました。

初めての試みに緊張しましたが、終わった今やって良かったなと思えています。


ワッぺリンとは、まだ2ヶ月ほどの付き合いです。

新しく出会った人と一緒に何かをする。
ましてはライブを撮って、それをアー写にする企画にしてしまう。

これを軽いと思えばそれまでですが、ワッぺリンと僕はこの2ヶ月でとても距離を近づけたと思っています。
今回の企画は一筋縄ではいかず、いくつかの困難を皆で乗り超えました。
その経験というのは、ちゃんとみんなの距離感に出ていて、きっとワッぺリンはもう僕の事を怖いだなんて思っていないはず。(たぶんw)


まぁそんな怖いとか怖くないとかはさておき、昨日の企画。


ライブカメラマンを意識した事がない人達に、その存在とライブ写真の良さというものが少しは伝わったのではないかなと。
そして、何も考えていないライブカメラマンがどれだけお客さんにとって邪魔なのかもわかったかと思います。

昨日きてくれたお客さん、きっと今度からライブ写真を観る目が変わるでしょう。

それは、僕が一番成し遂げたい事でもあります。
昨日がそのキッカケの一つとなれたなら、やった意味はあったんじゃないかな。


正直、そんなのやめとけば?といった声を頂く事もありましたが、
お洒落とかダサいとかでなく。やる意味があるかないか。そしてやりたいかどうかです。

平日に何か面白い事をしたい。
そしてその面白さをお客さんと共有したい。
そう思って動いたワッぺリン、尊敬しますね。

利益や、結果ばかり気にして何もできない人が多すぎる中、
ワッぺリンは純粋でした。

ワッぺリン、柴山さん、HUCK FINN、お客さん。貴重な体験をありがとうございました。




















そして、昨日は自分を見直す良い機会にもなりました。
まだまだな部分をフツフツと感じ、また燃えています。

腕を磨き、研ぎ、澄まして、刹那のような一瞬を決して逃さないカメラマンになります。

2013年6月20日木曜日

特別と思うなゴミ屑

悲しくて飲み込んだ言葉
ずっと後についてきた
苛立って投げ出した言葉
きっともう帰ることはない


米津玄師『vivi』の歌い出しの歌詞。


響く言葉ですね。
同じ事を想う事、よくあります。


発言って、外に向かってするものだけど
自分の口を使ってするものだから

内にも響いていくんですよね。



ここの所、平日何も予定なく過ごす事が多いので(免停)
気づくとネガティブモードに切り替わっている事が多くなってきました。

日々のライブハウスがいかに自分の発散の場になっているか痛感しています。
免許よ早く帰ってこい。


悔しさを日々感じています。


不甲斐ない写真しか撮れていない自分や、口ばっかりで何もできていない自分。
あまりにもちっぽけな自分自身にただただ「悔しさ」だけが


「負けるな」と肩を叩きます。


正直、こうゆう時間は大事なのかもしれません。
気持ちをリセットする時間、知らず知らずに調子に乗った自分をブチ壊す。


『おまえじゃ駄目だこの役立たず 特別と思うなゴミ屑』


amazarashi『風に流離い』の歌詞が響きます。
はい、負けません。



こんな夜には、1枚の写真を観ます。




















僕の原点となった1枚。
僕が初めて意識して撮ったライブ写真。

初心に戻ります。


いつでもここがスタートだ。

2013年6月16日日曜日

瞼が重すぎて潰される。

僕の観ている世界って凄く狭いのかもしれない。

いや、狭いよね。


月の半分くらいはライブハウスで過ごして、買い物に出掛けるわけでもなく。

それで

目の前でバンドがライブしてて、最高に格好良くてさ。
それ撮って、やっほーい!ってなってる。

で帰り道にTwitterで『今夜も最高だった』とか呟くんだ。


同じ日、同じ時、

日本中、いや世界中で、最高に格好いいバンドが最高のライブをかましてるんだろうし
そこには、僕が最高!って思ったのと同じくらい最高!って思った人が絶対にいる。


ライブ以外の所でだって、幸せだなぁ、楽しいなぁって思える瞬間なんて腐るほどあるし
自分の知ってる世界だけで、最高!って言ってるんだから、僕の世界なんてちっぽけだ。



でも
だから何なの?って話。



目の前に最高な瞬間がある事にまず感謝。
それを撮れる事にも感謝。

帰り道に最高だったって呟ける幸せ。


確かに、僕の知らない世界ってたくさんあるけど、
その日、その時の光景はそこに居た人にしか観る事のできなかったものなんだ。

それを体験できてる事実。
最高に、上も下もない。



























最高の瞬間を、死ぬまで残し続けてやるから覚悟しとけ。

2013年6月13日木曜日

台湾ラーメン、子袋、酢豚、青菜炒めで、腹も心も熱い。

今夜も暑いですね。


今日は、地元が同じ先輩が東京から帰ってきていたのでメシ行ってきました。

彼は、作曲家。
自分の創った曲が紅白いった事もある人物で、いつも俯瞰した物言いに色々と学ばせてもらってます。

もちろん今日も。

メジャーの真ん中で、それでメシ食ってる人の意識や、考えはとても強く、極端な部分もあり僕には刺激に溢れているわけです。

仲いいから一緒に居て楽しいしね^^



人生はギャンブルみたいなものだ。



なんて言葉はよく聞くけど、まさに今日はそんな事を再確認した日となりました。

僕らのような人種は、常にアンパイを選んでいくようなタイプではないです。

どこかで勝負していると思ってます。


では、どこで勝負をかけるのか?

いま自分は勝っているのか、負けているのか。


色んなものを見定めて、それでも勝負に出る人間であるはずです。

逆に僕らの様なことをやっていて、アンパイばかり選んでいたら上は目指せないし

勝負時を間違えてもいけない。


その為に考えなくちゃいけない事、知らなければいけない事ってとても沢山あるような気がします。


勝負時はいつなのか?

自分が勝った時なのか、負けた時なのか。


ギャンブルから学ぶ事は多いです(僕はギャンブルはやりませんが)

運に頼るのではなく、自ら勝ちを掴みにいく意志。


いつ勝負が起きているのかすらわかっていない人もいます。
勝っているのか、負けているのか、知る事なくやっている人も。


いや、そうゆう人の方が多いのかもしれません。



ライブ写真を撮るという行為に、本当の意味で真摯になり、活動し出して1年。
見える景色も、見ている景色も変わりました。

まだ先はあると信じてます。


目の前に転がってきたチャンスを逃がさない為にも、常に勝負できる人間で在りたい。



ギャンブルは苦手ですが、人生かけるなら降りるわけにはいかない。

2013年6月10日月曜日

夢の中と書いて夢中、必ず死ぬと書いて必死、まさに必死で夢中になって、僕らは季節を駆け抜けた

久々に書きます。


相も変わらずライブを撮っています。

いや、きっとこの先それは変わることの無いものでしょう。
きっと僕は死ぬまでライブを撮るだろうな、って分かりもしない事を曖昧に確信しています。


だって未来は誰にもわからないから。
自分が強く想う事がとても大事だと日々気づかされるからです。


身近な人ではなかったけど、また1つ大事な命を失いました。

その人の創る新しい音楽がもう聴けなくなった事実を目の前にして、死について考える。

でも僕の頭の中にはライブとライブを撮る事しかなくて、本当に全てがそれに繋がってきてしまって。

創造と破壊とか、生と死とか、解散で完成するとか色々な事を聞いて考えて

そんな表裏一体なものじゃないんじゃないか人生は。なんて想いました。


死んだら終わりです。僕の人生。


いつ死ぬか、いつ終わるか、わかんないから今を精一杯、真剣に、大切に生きる。

うむ、僕も日々そう思います。


でもそうやって日々完結していくのも違うのかなぁ、なんてのがよぎりました。この頭を。


どうせ生きてんなら、先がわかんないなら、自分は明日も生きていると曖昧に確信したい。
明日が終われば、また明日がやってくると信じたい。


(まぁもう捕まらんやろって未来を曖昧に確信していた結果、現在免停をくらっておりますが。)


しかしまぁ。
その先にどんな自分が待っているのか。
いや、どんな自分になるのか。


それを見つめてイきたいな、と。









今日は6月9日。ロックの日だそうです。ふむ。

ダイアモンドホールでamazarashiを撮りました。
ここ最近出会って、ハマりまくって、骨の髄まで惚れまくってるバンドをロックの日に撮っていました。

もちろん自分の力ではありません、取材のカメラとして入らせてもらえました。
柴山さんありがとうございます。


僕は思いましたよ。

もしこの先、彼のバンドがもっともっと躍進した時に

『青木カズローが初めてamazarashiを撮ったのは2013年の6月9日らしいよ。
やべぇ!ロックの日やん!伝説やん!!はんぱねぇー!』

そう言われる存在になりたいぞ、と。


いやそれがamazarashiでなくとも。
僕の撮っているバンドが伝説と言われるような大きなバンドに成長した時、あのバンドを昔から撮ってたのがあの青木カズローらしいよ!って言われる自分で在りたい。


色んな先輩から色んな伝説を聞いてきました。
そんなものどこかで偶然産まれるもんだと思ってました。


この間、BACK LIFTが名古屋のバンド主体でクアトロをソールドさせたそうです。
ここ最近聞いた事もなかった事で、素直に伝説的な瞬間だと思いました。

気づかされたわけです。
伝説なんて自分達の力でつくるもんだ。って。

偶然なんかじゃない。
そこには、でっかい勇気と挑戦と、何事も顧みない強靱な精神があるんだ。


そんな事を思っていたら。
ああ、きっとオレは死ぬまでライブ撮るな。って曖昧に確信するわけです。

それが信じるって事です。



いつもいつも偉そうにすみません。
ここでくらい大きい事言ってもいいよね。眠たくなってきたので映画でも観ます。