2015年1月29日木曜日

朝がくるまで、朝がくるまで

不謹慎かもしれないが

死んで

みんなが悲しんでくれるってすごく羨ましいな。



生きている時って

自分がどうやって生きているか

考えているつもりで考えきれていないもので

計画的に生きようったってそうはいかないのが人生で


人にどう思われているかが気になってしまうような人にとって

今の生き方が正解かどうか

生きているうちには判断がつかない。

(元々生き方に正解なんてないのだろうけど)


それでも生きている。ってのは自分でコントロールできるものではなくて

悩んでいたって生きていってしまう。



人に優しくしなきゃなとか。

仲間や友達を大切にしたいとか。

自分以外の誰かを愛して生きていきたいって思うけど

同じようにみんなから愛されているかなんてわからない。




この間

あるバンドのドラマーが亡くなった。

僕はちょうど1年くらい前に2度その人を撮影し

少しだけ会話をした事がある。

すごく物腰の柔らかい人だなって印象。

その人について僕が書ける事はそれくらいだけど

僕の周りには本当に愛されていた人なんだなぁと思う。


闘病中から県外のバンドマンがお見舞いにきたり

亡くなってからも日本中から哀しみの声が聞こえてくる。



生きている間はわからない自分自身の生き方ってのも

こうして亡くなったらわかるんだなぁと思った。

みんなが顔を見にきて、泣いてくれる。

それだけで彼がどんな人だったのかわかる。





自分がどんな風に生きていて

どんな風に見えているかなんてわからないけど

自分に正直に

人を愛せる自分でいたい。


いつしか僕の命が終わった時

泣いてくれる人がたくさんいたらいいな。


その時僕の人生、答え合わせができる気がする。


前を向いていくしかないね。

2015年1月1日木曜日

元旦から道路脇に横たわる狸

本当はモノクロの写真が好き。

ブレたりボケた写真が好き。

偶然を含んだ奇跡的な一枚。

そんな写真を良い写真と言いたいし、そんな風に残ったライブ写真が大好きです。

でも


僕の撮る写真は違う。

カラーだし

バチバチにピントを合わせて

構図もしっかり決めてトリミングもしない

自分の写真に求める偶然性はできる限り排除して

職人のように撮る。

シャッターを切る瞬間さえ

予測して

偶然の瞬間を残した事を鼻にかけたりもしたくない。



ライブカメラマンという肩書きがあると知り

そうなろうと決めた3年前。

それから色んなカメラマンに出会った。アマもプロもどちらも沢山。

ライブカメラマンは

偶然性に頼った写真を撮って評価される。

そんな風に思われたくない。

舐められたくないのです。


自分でライティングできるわけでもなく

撮影ポジションも限られ

移り変わる光と瞬間の中

最高の一枚を撮る。



偶然撮れたようなブレやボケの力を借りて

モノクロの異世界で誤魔化して

良い写真だなんて言わせたくないのです。


だからバチバチにピントを合わせ

カラフルに

まさに一瞬を切る様に残す。


そうして

“狙って撮ってる感”を出したい。

いや狙って撮っているんです。

ライブカメラマンもちゃんと技術をもったカメラマンだと

知らしめたい。



今までそんな気持ちでやってきました。

2015年。

僕の7年目が始まります。


これからも僕の意地を見ていてやってください。
宜しくお願いします。



青木カズロー
2015年元日