2015年7月10日金曜日

象は時代遅れの生き物らしい

感じるってどうゆう事だろう。


人によって感じ方が違うってなんでなんだろう。

それは

その人の生きてきた環境、生きている環境、立場

そういったものが生み出す価値観が

何かを得た時に何かを想起させる事なんだろうか。



いつもと変わらない出来事が

いつもと違うものになる瞬間がある


何かを得た時に

違うワードが頭を駆け巡る事もある


そうやって変化していったり

自分自身が成長していくのを

僕は受動的に

そして肯定的に捉えてきた



そこに在る何かにぶつかった時

人は何かを感じるのだろうが

結局はそれは

その時の気分

心模様でどれだけでも変わってしまうと

そうゆう現場に何度でも出くわしてきた


それは人は心で“感じて”いるという

すごくストレートな答えなのかもしれない。

では心はどこにあるのだろうか

僕はずっと頭の中にあると思っていた

それならば心をコントロールする事もできるはずだし

何かにぶつかった時どう感じるか

ある程度選択できるのではないかと

そう思っていた



でも最近

自分で何かを感じる時

それをコントロールできない事が増え

僕の考えは決して正しくは無かった事を突きつけられている。


はてさて

心とは一体どこにあるのだろう?

そして感じるとはどうゆう事なのだろう。

考えは続く。






その牙を失っても尚、
生きようと本能にしがみつく象に対し
時代遅れの生き物だと一言で片づけられる人間。

僕は象にはなりたくないし、人間にもなりたくない。

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